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		<title>D3ブログ</title>
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		<description>Tooljp site-Just Use it!</description>
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		<category>D3ブログ</category>
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			<title>李下に冠を正さず</title>
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			<description>「李下に冠を正さず」「君子たるものは、人から疑いを招くような事を未然に防ぎ、嫌疑をかけられるような振る舞いはしないものだ。（取ろうとしていると勘違いされぬように）瓜（うり）畑の中で靴を穿（は）くような仕草をしたり、李（すもも）の木の下で冠をかぶりなおしたりはしないものだ。」（現代語訳）http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-rikanikanmuriwotadasazu.htm上記のurlの文章を読むだけで含蓄がある。以下にその他の故事成語の記述がある。http://www23.tok2.com/home/rainy/top-seigo.html「君子危うきに近寄らず」よりもっと微妙である。「李下に冠を正さず」と思いながら他人から見るとそうでないかもしれない。他人の倫理基準は様々であるし、何とでも解釈のしようもある。その一番厳しい方に調整した方が間違いがない。大人になると自分を許す方向へ、甘やかす方向へ流れる。ちょっと辛くなると「今夜一杯やりますかぁ♪」子供達の拘束された境遇を慮るとそう自分を甘やかしては居れない。そのようによく思うことにしている。さほど厳密に自分を律しているわけでもないが、凡人には律している程度がすごければ立派な人だと思えてしまう。かつて行者のようなひとがそれだけで尊敬される風土がある。中国やインドでもそうだし、西欧でもそんな人物達がいた。君子絡みで「君子豹変」がこの頃本来と違う理解が多くなったので、下記にリンクをしておく。http://chinawords.seesaa.net/article/6083639.html君子って憧れますよねぇ。</description>
			<pubDate>Fri, 02 Mar 2012 14:57:47 +0900</pubDate>
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			<title>戸締励行</title>
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			<description>男子トイレのドアには「戸締励行」と標識が貼ってある。にも拘わらずドアは開いている。以前、入り口が真っ暗な状態でいつものように入ると、ドアの角に顔をぶつけてしまった。半開きの状態はかなり危険なのである。そういうことも含めて「戸締励行」としてあるのだろう。臭いが外に出ないようにという配慮もあるだろう。しかして実態は半分近く中途半端に開け放ってある。湿気が籠もらない配慮なのだろうが、優先すべきは「戸締励行」だったのではないだろうか。そのように大きなルールを個人の思いつきで無視していく、人間のメカニズムを発見することが多い。個人的なルールと社会的なルールが矛盾していたりすると、優先順位の転換が起こる。社会的ルールをあまり意識せず、個人的ルールを優先させてきた人間に起こりがちな行動である。実はこのような優先順位の変換は考えることによってしか正常にならない。体系的に考えていかないと順位なんてことは考えない。標語は考えなくても行動を促すためにあるだが、その標語が簡単に無視されるとは人間はなんと自分勝手な生き物であろうか。意識して情報を収集し考えないと、対象に関する認識は深まらない。なにかマニュアルがあってその通りにしてもその行為には意味があるのである。自分が行動を促されている論理を理解できなくては行動に反映されない。「己の欲するところに従がいて、その矩を越えず。」夏目漱石は「則天去私」なんて言っていた。</description>
			<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 02:30:33 +0900</pubDate>
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			<title>週の訪問のタイミングと強い思い</title>
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			<description>毎週月曜日に訪問してくれる仕入先の担当がいらっしゃる。本人のキャラクターのせいなのかもしれないが、来てくれたことはとても印象的である。うちの会社に対して思い入れが伝わってくる。だいたい仕事は週単位である。そのなかで週の終わりに来れば印象は薄い。今週来ないんだなぁ。後回しにして来れたら来るんだなぁ、とか考えてしまう。4:30pm以降の訪問予約は何かしら仕入先の営業の訪問計画に入ってなくて時間がつくれそうなので辛うじて入れた感が否めない。うちの会社が代理店や特約店になっているメーカーの定期的な契約書をさも処理しますという具合にFAXで送りつけ、「判子を○○日までお願いします」と言いながら面談したときには言葉に出さない。彼は粛々と処理をしていて経由して代理店特約店になっている意味を深く理解していないと感じる。費用対効果ってことはあるのだろうけど、露骨にそういうことを感じさせられるとすれば気持ちが萎えてしまう。遅くとも水曜日までに来ないとしたら、まあ、粛々と訪問しているのだろうなぁ。訪問したという事実を日報に書くことに満足していないだろうか。強い思いを感じることにぼくらは励まされる。粛々とした訪問儀式なんていらないよねぇ。何に対してひとは嬉しいと思うんでしょう？</description>
			<pubDate>Thu, 13 Oct 2011 03:08:43 +0900</pubDate>
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			<title>過ぎたるは及ばざるに及かず</title>
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			<description>「過ぎたるは及ばざるに及かず」NHKの大河ドラマで大久保利通が言った言葉。やりすぎは、中途半端より悪い。この含蓄が分かるかなぁ。</description>
			<pubDate>Fri, 08 Jul 2011 10:43:00 +0900</pubDate>
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			<title>想定外...</title>
			<link>http://www.tooljp.net/modules/d3blog/details.php?bid=9</link>
			<description>彼の元ライブドアの社長は、いつも「想定の範囲内です。」と言っていた。想定してないときでも使っているように見えた。東日本大震災でメルトダウンした福島第一原発では、「想定外の津波でこんなことになってしまった。」という言葉を流行らせてしまった。２，３年会社に居れば、会社や業界の風土を身につけてくるものだ。日々何もしていないわけではないし、たくさんの失敗をし、それを繰り返さないように仕事全体を理解できるように自分を取り巻く枠組みを再構築しながら、ベテランになっていく。定型のルーチンが多いのに、「想定外」だと言うのであれば、それは自分のやるべき仕事について考えていないと言えるのではないだろうか？失敗をし、同じ注意を受けながら同じ過ちを犯していく。聞いただけで分かった顔をしている。ちょっと構造を組み替えて質問すると何も返ってこない。思いついたイメージの善し悪しを判断する訓練ができていない。かつて在籍していた専務の口癖は「これでいいと思っていないか？」だった。加減乗除がたやすくできるようになるために膨大な反復訓練をしたはずだ。身につけるということは、膨大な回数の反復をしながら体に意味を染みこませていくことだと思う。人類は中世の呪縛から抜け出て、20世紀の終わり頃まで合理性を追求してきた。それは迷信などに依存するのではなく、科学的な知識を基礎として考えていく態度であったと思う。知の質は問われている。人間８０年そこそこの寿命で産業革命以降蓄積された膨大な知に対して眺めることしかできないのだろうか。それとも、「ピーターパン症候群とは、社会人になっているにもかかわらず、心が子供のままである心理的な病気である。」「女性の場合、シンデレラ症候群といい、「いつか白馬にまたがった王子様が迎えに来てくれる」と信じるように、決してかなわない現実離れした幸せな家庭を信じきってしまう心理的な病気がある。」http://skillstorage.com/kei/kei/146.txtというような問題なのだろうか？現実感や存在感の希薄さなのだろうか？</description>
			<pubDate>Thu, 07 Jul 2011 10:40:00 +0900</pubDate>
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			<title>何事も成功するまで続ければ必ず成功する。成功しないのはその前に止めてしまうからである。</title>
			<link>http://www.tooljp.net/modules/d3blog/details.php?bid=8</link>
			<description>「何事も成功するまで続ければ必ず成功する。成功しないのはその前に止めてしまうからである。」某社の朝礼で声を出して読まれていた呪文の５つのうちの一つである。一番意味が分からないと思った一文だ。精神論的で、テーマや目的意識が見当たらない。果たして何をもって成功というのだろうか？すべてに関して、社会ではその人間がいる状況があり、仕事になると必ずテーマや目的がある。そのことに気づくか気づかないかは人間を大きく分かつものである。時間を過ごすことがを仕事と思っているか、自分の自己実現として仕事を把握しているかと言ってもいいだろう。</description>
			<pubDate>Wed, 29 Jun 2011 10:40:00 +0900</pubDate>
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			<title>心頭を滅却すれば火もまた涼し</title>
			<link>http://www.tooljp.net/modules/d3blog/details.php?bid=6</link>
			<description>無念無想の境地にあれば、どんな苦痛も苦痛と感じない。〔補説〕 禅家の公案とされ、1582年甲斐(かい)国の恵林寺が織田信長に焼き打ちされた際、住僧快川(かいせん)がこの偈(げ)を発して焼死したという話が伝えられる。http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0ss/110090200010/暑いっす♪</description>
			<pubDate>Thu, 23 Jun 2011 10:30:00 +0900</pubDate>
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			<title>ことのは....</title>
			<link>http://www.tooljp.net/modules/d3blog/details.php?bid=10</link>
			<description>言葉とイメージを持った意志と感情とがひとの総体のような気がしています。言葉でどれだけのイメージが膨らむものなんでしょう。</description>
			<pubDate>Wed, 22 Jun 2011 10:50:00 +0900</pubDate>
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			<title>仕事の論理</title>
			<link>http://www.tooljp.net/modules/d3blog/details.php?bid=5</link>
			<description>注文や見積はFAXやメールできたものを、あるいは面談して話を聞いたものを扱う。文字や紙ベースで来たもののオリジナルは大切である。通常の商品はメーカー名、商品名、型式で分かる。材料や鋲螺類は材質・表面処理、商品名、規格・寸法でいいだろう。その他図面を添付しなければならない加工品や製作品がある。これで商品が決定できる、できない、という感覚はとても大切なことである。その書類を読んで疑問点や不明点が一つでもあったら、その疑問点を解消しなければ顧客が要望する商品の見積や納品ができないのである。第一義は顧客が希望するものを特定できているか？である。それには専門知識が必要であり、分からないことが一つでもあったらそれは解消しなければ職務を全うしたことにはならない。猫の手が借りたいのに、猫は動物だからと言って犬を連れてきたではダメなのである。しかしながらそういう非論理的な愚かさを目の当たりにする。顧客がどんな形で見積や注文をしても、例え間違った注文をしても顧客が望むものを提示するのがプロの仕事である。言い逃れができればいいと思っていないよね。例えば顧客が注文したとおりに納入したが、いつもは特殊なものを納入しているのに、図番がなかったので通常のものをはじめて納入した。スキルがあればこれはいつもと違いますよ、と連絡して確認できるはずである。「あ、違っていた、いつもの図番のあるものでお願いします」納品したものは返品になり、仕入先にその旨を連絡し、返品処理を行うことになる。返品の多さは会社の信用を傷つけると考えている。仕事にはルールがある。個人的感情なんている混む隙はない。仕事の粛々とした論理があるだけである。その基本的な仕事の論理を身につけ、それを元に考えればさほど間違った結論には至らない。耳を澄ませながら会社の空気を感じ、仕事の論理を身につけてから、それからやっとプロの仕事ができる。顧客に３度同じ事を言わせたらプロ失格である。顧客はそれほど寛容ではない。３～５年は信用回復は不可能だと思った方がいい。</description>
			<pubDate>Thu, 16 Sep 2010 02:22:54 +0900</pubDate>
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			<title>問題を解決する方法</title>
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			<description>点で考えるのではなく線で考える。線でなく面で、面でなく立体で考える。ものごとの見方やイメージの作り方は人間において決定的である。知識がどれだけあっても、自分が持っているイメージの組み立て方は人格と言ってもいいくらいの決定的なものだと考えている。「仕事で注文を受けた商品を決定するには、メーカー名、商品名、型式が必要である。」とよく言っている。新人さん達はそれが見つかれば安心している。それを入力して受注入力完了というわけだ。そのメーカーがどんな商品を扱っているメーカーであるかに興味がない。そのメーカーの仕入先は他にどんな商品を扱っているかに興味がない。仕入先の担当の営業や業務は誰でどんな人なんだろうか？あなたは自分の名前を晒しながら見積をする訳なのだが、相手はあなたの仕事ぶりをどう思っているだろうか？その商品はどんな人がどう使うのだろう？他に同じような商品はないのだろうか？もっと安くて同じ機能の商品はないのだろうか？このメーカーと同じようなメーカーは他にどこがあるだろう。それらの商品の違いが分かる商品知識はあるのだろうか？メーカー名、商品名、型式だけが分かっただけでは何にもならない。こんなものが欲しいと言われたときに、「メーカー名、商品名、型式が分からないと分かりません」なんて言えないよね。調べるときにはメーカーのカタログを見なさい、と言う。商社の商報はメーカーの抜粋でしかない。メーカーですらユーザー向けで様々なカタログを出しているところもある。それが全てではない。メーカーが出した最新のカタログでもその後にメーカーサイトに新製品がアップされていることだってある。確実なことはひとつもない。問い合わせを受けたものがどこまでベストを尽くせたか？自分の過去の失敗を反省し、教訓にしてベストを尽くせるかに顧客への「おもてなし」は掛かっている。高校生までの教育は必ず答えがあるものであり、答えは簡単であり、それ以外の答えはなかった。（そういう問題が出されていたということでもある）仕事上で知らないことがあっても教えて貰っていなければ問題ないのだろうか？ひとはひとの中で役割を持つ担おうとすることが勤めだと思う。面接で「あなたが今まで生きてきて学んだことが仕事で役に立ちます、生きてきたことを仕事で生かしてください。」と言う。あなたは自分に投資してきたろうか？数日や数週間や数ヶ月あるいは数年間考えてみることも無しに、あっさりと「自分は分からない」なんて決めつけてはいないだろうか？個人の基本的なイメージは要注意である。過去の経験がすぐ出てくる。新しいよいイメージを抱くことが大切である。どう発想するかは訓練すればコントロールできる。知識はイメージに従属させるものである。意志のないところに答えはない。論理の迷路だけである。問題を解決する方法を見いだすのが仕事である。知の技法知の論理知のモラル新・知の技法</description>
			<pubDate>Wed, 28 Jul 2010 02:57:01 +0900</pubDate>
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